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「パリ生活①退社~渡仏まで」 フランスに来たのは風呂上りの決断!?

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そもそもフランスに来た理由は何だったか、滞在許可証の話などよく聞かれるので何回かに分けてお話しようと思う。

フランス的空気に囲まれた幼少時代

日本では小学校から高校までフランス人のシスターが創立したカトリック系の学校で学んでいたが、フランス語の授業があったり、フランス人の先生がいたり、今から思えば小さな時から知らないうちに「フランス」的環境で育っていた。パリの老舗デパートの前に母校とゆかりのある修道院があるのだが、その中庭が母校の校庭によく似ていて驚いたことがある。

その後きちんとフランス語を学んだのは大学の第二外国語としてであるが、社会人になってからフランス映画や美術史に興味を持ち始めたのをきっかけに本格的にフランス語が勉強したくなり横浜の日仏学院(現アンスティチュ・フランセ)に通い始めた。

週末のフランス語学校で癒されて

日仏学院はそのドアを開け、中に入ると、ラべンダー色のセーターを肩にかけているようなオシャレなフランス人の先生たちがいたりして、雰囲気もプチ・フランス! レッスン後に先生や同じクラスのフランス好きな仲間たちと食事にいったり、、毎週行くのが楽しみになっていた。
当時はいわゆるバブル時代で仕事も遊びも200%。心身ともに疲労気味であった20代後半、、きっと普段と違う空気に触れることで癒されていたんだと思う。

風呂上りの決断!

フランス語を勉強すればするほどフランス、とりわけパリへの憧れが強くなり移り住みたくなっていた。忙しいわりに単調な、10年続いた会社員生活にそろそろピリオドを打ちたくなっていたというのもある。そんなある日お風呂上りにふと思った。

「パリに住もう!1年ぐらい住んでフランス語を学ぶのもいいかも知れないな。」

決断の瞬間はわりと静かであった。

それまでパリへは3回観光で行っただけであったが、3回目の来仏時、サン・ルイ島の美しいアパルトマンの佇まい、そのザ・パリ的な風景を前に「将来、わたしはこの街に住むだろうな」と思った。「住みたい」ではなく「住む」という直感があった。それが無意識のうちに渡仏の決断へと導いたのだろう。

決断から渡仏まで

一度決めたらすぐに行動したい性格の私は、勤めていた会社を即退社したいという意向を上司に伝えたが、後任者が育つまで待ってくれとのことでなんと6か月も待たされた。フランスなら雇用契約内容が決まっているので基本的に管理職でなければ1か月前の予告期間があれば退社できる。その辺、最近の日本はどうなんだろう?少しは労働者が守られるシステムになったのだろうか。

その後順調に渡仏の準備を進め、会社も辞め、渡仏。現在に至る。
そう、当初はたった1年の滞在予定であったが、今年で在仏23年目だ。

渡仏の理由は表むきにはフランス語の習得であったが、いわゆる文学や美術専攻といった留学でも、会社からの派遣でもない、「直感」だけであった。

単なる思い付き!?

その割にはよくここまで一人で無事に生きてこれたな~。いや、その「軽さ」があったからこそここまでやってこれたのかも知れない。人生、しがみつくといろいろとややこしい。もちろんフランス語を学ぶ真面目さや異文化に溶け込む努力は必要だが、当初どうしてもこのフランスに残りたい!という想いもなかった。

このフランスという国では何がおきても「・・・だよね~!!」的な軽さと寛容さが一番大切だ。
風の星座、ふたご座生まれの私はそういった点でもやはりこの国のいい意味でも悪い意味でもふわふわとした風土があっている。

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