ルーヴルやオルセーのような有名な美術館も好きだがたまにはひっそりと街角に佇む小さな美術館を覗いてみたくなる。
そんな好奇心を満たしくてくれるのがセーヌ川寄りのサンジェルマン通りから一本横に入ったところにあるクストディア財団美術館。国会議事堂のすぐ横だ。
1947年、Frits Lugt氏(1884-1970)というオランダ人美術史家が自身のコレクションを展示するために18世紀の個人の館に財団を創立し今に至る。
コレクションを成すのは世界の芸術家による約7,000枚のデッサン、30,000枚の版画、220点の絵画、40,000点もの書簡と膨大だ。
恥ずかしながら数年前まで当財団の存在を知らなかったのだが、2年前に会社の同僚がオランダ人現代画家Siemen Dijkstraの企画展が素晴らしかったと情報をくれたので行ってみた。
規模は小さいがこじんまりとした空間の中にもキラリと展示センスが光る内容だったのでその日からクストディア美術館はお気に入りの美術館の一つになった。
ここはもともと貴族の館だったらしい。後日見学出来そうなのでその模様は別途ご報告することにしよう。


フランス人画家 LEON BONVIN
さて今回ご紹介するのは地下の特別会場で来年1月8日まで(もうすぐ終わり〜!?)開催中のフランス人画家「LÉON BONVIN(1834-1866) Une poésiedu réel(現実の中の詩)」展。
19世紀の静物画家FRANCOIS BONVIN(1817-1887) の異母弟だ。17歳年上の兄フランソワの方は知っているがこんなに素晴らしい作品を残した弟レオンがいたとは!!
それもその筈、創作に行き詰まったのか確かな理由は明らかになっていないが彼は31歳の時にムドンの森で自殺してしまう。つまり実質的な制作期間が短く世に名前が出る前に旅立ってしまったというわけだ。
当時残された不憫な家族たちを救おうとクールベやドビーニー、モネやブダンなど名だたる画家たちが協力し、レオンの作品の売却を助けた。兄フランソワの名声の力もあったかもしれないが、きっとレオンの才能を惜しんだその気持ちの方が皆強かったに違いない。
それでは展示作品の一部をお裾分け。

絵を描き始めた頃はスケッチ鉛筆の作品が主だった。白黒の濃淡だけて光を表現するのは難しいだろうな。私が描いたらついやりすぎて全部真っ黒になってしまうだろう。
レオンの家族が住んでいたのは当時まだ畑しかなかった今のパリ15区Vaugirard辺り。父が経営する一杯飲み屋を手伝っていた。しかし今と違ってのどかな風景!!


1858年以降レオンは水彩画を始める。つまりここから色の表現が出てくる。
18世紀フランス人画家シャルダンを彷彿させる静物画。一つ一つのオブジェが生きている。背景のトーンも絶妙だ。


最も感動したのはお花の作品。写真はあえて額縁を除いてみた。
イタリアルネッサンスのような上品さとフランドル絵画のような精密さ。またある種、日本画・若冲のような精悍な線たちの交わり、構図も独特だ。私の頭の中で今まで観たあらゆる作品の記憶が覚醒され続け、すごいことになっている。
きっと彼はルーヴル美術館であらゆる国のあらゆる作品を鑑賞していたんだろう。その中から自分独自のアプローチと表現方法を日々探っていたのかな。




レオンが実際に使っていたパレット。筆の跡から最後に使っていたのはプルシアンブルー、ナポリの黄色、空の青、だったことがうかがえられる。

お気づきの方も多いと思うが苗字のBONVINはフランス語で「美味しいワイン」という意味。ワインがの飲める居酒屋を経営していたというのだからそのままだな。
さてさて美しい絵画の世界に触れたあとは今日もワインが美味しい。ゆっくりと冬至の夜を楽しもうではないか。