今年はフランス劇作家・モリエール生誕400周年ということであらゆるイベントが開催されるが、先日のヴェルサイユ宮殿・オペラロワイヤルでの「町人貴族」を観劇後、コメディー・フランセーズ劇場で「守銭奴」を観てきたのでご報告。
まずはモリエールの住居跡を訪ねて
コメディー・フランセーズ劇場はパリのど真ん中、ルーヴル美術館の近くでつまりは観光スポットのメッカに位置する。
しかしあまり知られていないのが劇場裏手にひっそり佇むモリエールの彫像と彼が最後に住んでいた住居跡だ。
公演まで時間があったので界隈を散策。
「あれ?」
モリエールの彫像はすっぽり柵に囲まれ何も見えない状態だ。どうやら修復中らしい。

これだけではあまりに悲しいので今年の春に撮った彫像の様子をご紹介。確かにこう見るとかなり黒ずんでいる。
下方のライオンの顔の部分は本来フォンテーヌ
(泉)なのだが緑が植えられていた。
せっかく記念すべき年なのに「これではモリエール泣いちゃうよね」、ってことで慌てて修復しているのだろうか。。

柵の中を覗いてみたところ白く磨かれてかなり綺麗になっている。仕上がりが今から楽しみだ。

その彫像を背中にリシュリュー通りを少し歩いていくと右側40番地にモリエールの晩年の住居跡がある。一般公開はされていないので正面ドアをパチリ。全体的に改装を重ねているとは思うが彼が生きた
17世紀に思いを馳せる。。。

1673年2月17日、歩いて数分のパレロワイヤル座で「病は気から」を演じた後、容体が悪化したモリエールはこの自宅に担ぎ込まれるが、看病の甲斐なく
51年の生涯を閉じることになる。
当時「感情、情念の表現」を冒涜と見做した宗教界は演劇人を異端としていたことから、生前に俳優業を捨てなければカトリック墓地への埋葬は許可されていなかった。
モリエールは亡くなる直前まで演劇人だったので
その手続き(司祭の前で俳優業を棄てる宣告)をしていなかったが、未亡人アルマンド・ベジャールがルイ14世に懇願したところ、俳優としてではなく「室内装飾業者のジャン=バティスト・ポクラン(本名。実家は室内装飾業者であった)」としての埋葬が許可されたと言われている。ちなみに現在彼のお墓は多くの偉人が眠るパリ20区のペール・ラシェーズ墓地にある。
いざコメディー・フランセーズ劇場へ
そんなモリエールを回想しながら劇場へ向かう。
広場に面した重厚な正面口がこれから体験するだろう別世界へと誘う。

回廊にはモリエールさんの横顔が。


中に入るとすぐ右手に想いに耽るモリエールさんがお出迎え。何んだかおみ足が大胆だ。

「コメディー・フランセーズ」は正式には1680年
ルイ14世の命により結成された王立(国立)の劇団のことを指す。
その劇団の本拠地の当劇場のことも「コメディー・フランセーズ」の名称で親しまれている。
モリエールが創設した劇場のような印象があるがそうではないのだね。。。
ちなみにフランス語で「コメディ Comedie 」とは喜劇・悲劇をひっくるめた演劇全体を指す。喜劇のみの意味ではないのでご注意を!



内装はコンパクトで落ち着いた雰囲気。あまりギラギラしすぎていない感じが好きだ。
いよいよ開幕!
今日の演目はL'AVARE 「守銭奴」。子供たちにいかに得する結婚をさせるか、また普段の生活にいかにお金を使わず、与えずに生きるか、、が染み付いたどケチな父親が繰り広げるドタバタ劇だ。
ゴルフシーンなどモリエールの時代ではあり得ない設定も幾つかあったが、劇団員の素晴らしい演技やセリフ回しに引き込まれ、現代風の衣装やセットも全然気にならなくなっていく。
父親が咳き込むシーンが多いのだがこれはモリエール自身が演じていた時に病で咳き込んでいたらしくそれがそのままセリフになっているようだ。


私も今年でフランス生活24年。もっと早くこの劇を観ていたらもう少し貯金ができていたかもと悔やまれてならない。